2009/7/16

ドリーム・ジェネレーション

  7月16日(木)
  過ぎ去りし日の熱い思いは、帰らないにしても

今回で15回目のニュースになります。読み返してみると、今まで自己紹介を含めた内容ばかり書いてきたかな。ちょっと考えました。この辺で一区切りつけようかなと。今日は、最後の自己紹介ということで、若い頃の自分を紹介します。意外な部分です。自己紹介最終回ということで、思うままに書きたいと思いまので、ちょっと我慢して読んで下さいね。
明日からは、皆さんにもためになるニュースを簡潔に書きたいと思います。皆さんのリクエストにも応えていきたいので、これからも意見・感想を知らせてくださいね。

出会い、挑戦、すべてはここから始まりました。

今日、整骨院に行く途中で、横を通った母校から野球部の大きな声が響いてきました。懐かしくも思い、卒業して以来初めて正門をまたぎました。僕は4回生で、まだ新しい校舎でしたが、だいぶ古さを感じました。ここで多くの仲間に出会い、ドラマが始まりました。

20年ぶりに母校の正門をまたぎました。
<BR>
20年ぶりに母校の正門をまたぎました。

中学は卓球少年、高校はギターに明け暮れた日々。

つらい思い出ですが、捨てられませんよね。
<BR>カーボン素材のラケットです。
つらい思い出ですが、捨てられませんよね。
カーボン素材のラケットです。

中学時代、部活と卓球スクールに通い続けてきた毎日。全国に続く夏の大会で、卓球少年はまさかの2回戦負け。”南陽の山本が負けたよ”って場内に流れました。当時南陽の山本といえば、三河では知られる存在でした。全てが終わった瞬間でした。大きな挫折でした。
それでも、高校は僕を卓球で推薦してくれ、そこには有能な選手が集まりました。でも1年持ちませんでした。

AGES 結成
AGES 結成

ホール代払うために必死でチケット売りましたよ。
ホール代払うために必死でチケット売りましたよ。

(シャープ)ロック 少年(シャープ)

それからは、ギターを始め、バンドをつくり、放課後は仲間と過ごす毎日。
たくさん夢を語りましたね。「ライブで1万人集めたいね」、とかね。大きな夢をね。どんどん広がっていきました。
でも 家は、おばあちゃんが、細々と農家をやっていたので、貧しい生活でした。お小遣いもありませんし、ギター買うお金はなかったですね。だから、2年半毎日、新聞配達をしました。1ヶ月2万円でした。そこからお小遣いと弁当をまかないました。初めは安いギターとアンプで我慢しました。その後貯まったお金で憧れのフェルナンデスの”フライングV”を手にしました。あの時は泣けましたねー。10万円だったかなー。


自転車でギターとアンプをかついで、仲間と一日弾いてたな。
自転車でギターとアンプをかついで、仲間と一日弾いてたな。

ロック大好きでした。
<BR>でも原点はフォークでした。
ロック大好きでした。
でも原点はフォークでした。
25歳のとき買った、
<BR>TAKAMINEのギター。
<BR>
<BR>TKAMINEのギター。
25歳のとき買った、
TAKAMINEのギター。

TKAMINEのギター。

高校卒業したら東京に行くことに決めていました。都会にあこがれてました。何か”大きい事”ができるんじゃないかって、BIGになって帰ってこよーっ、てね。ギター片手に新幹線に乗りました。東京の生活は大変でした。仕送りはなかったので、1万円で3畳の部屋を借りました。世田谷でしたけど、あるんですね。元々牛小屋を改造しただけの部屋です。でも、10部屋くらいあって、満室でした。よく部屋の扉に「家賃払って下さい!」なんて、貼り紙してありました。僕じゃないですけどね。大学時代は、人生のいろんなことを学びました。価値観や哲学みたいなものまで幅広くね。在学中、俳優になりたいと思ったこともありました。結構、顔立ちも良くて、「ジャニーズ系だね」と言われてたんです。バイト先では「マダムキラー」とかね。これホント。でもそれだけじゃなれないですよね。養成学校に行こうかと悩んだ時期もありました。「支援してくれるという方」も現れましたが、結局断ってしまいました。自分に自信がなかったんですよね。


左が自分で18歳。隣が妹。
<BR>その隣が従姉妹の3人。
左が自分で18歳。隣が妹。
その隣が従姉妹の3人。
21歳の頃。色白です。
21歳の頃。色白です。


卒業後はそのまま就職して、そこでトライアスロンに出会うことになります。かれこれ、10年20台の大半を東京で過ごしました。
そして、愛知に戻ってきて、最初に訪れたショップが、「トライアングル」でした。初めての僕に親切に話をしてくれ、帰りは元宿駅まで送ってくれたのを覚えています。それ以来ずっとお世話になっています。
本当にありがとうございます。そして、トライアングルを通じて、柴田プロに出会い、スクールの仲間にも出会えました。すべて一つに繋がっていることに気づきます。みなさん、これからも宜しくお願いしますね。


もっと懐かしい写真ですが、ちょっと悲しいです。

母と僕です。
母と僕です。
たくさん愛していてくれたと思います。
たくさん愛していてくれたと思います。

母は、35年前に他界しました。27歳でした。癌です。3歳でしたから、母の記憶はありません。その後、後を追うように5歳のとき父が他界しました。
会社での事故です。 父との思い出は少し覚えています。両親と過ごしたのは 5年間でした。
幼なすぎたせいか、いないのが当たり前でした。つらいこともありましたが、一番つらかったのは父と母だったと思います。そして、妹も頑張りました。
人生、最後にはプラスマイナスゼロ
です。

最後にしめっぽい話になってすみません、まだ梅雨ですから大目にみてくださいね。
もうすぐ梅雨明けですね!みんなー元気でいきましょう~!
今日、接骨院いったら、体ガチガチでしたー!どひゃー!
明日は、雨そうです、ドライな体を潤してくれるかな?

ホームへ先頭へ前へ戻る