2014/9/29
無事祈る 涙の山麓
9月29日(月)”ひまわり”英治
母に電話「もう、死にそう」
「お母さん、もう死にそう」。東京都の三十台の女性は噴煙に包まれた御嶽山の山頂近くから、携帯電話で母に伝え、やがて息をなくしたという。
一緒に登り、女性を山に残したまま先に下山した茨城県会社員鈴木貴浩さん(35)は、二十八日朝から、行方不明の家族らが待機する長野県木曽町役場で、ずっと待ち続けていた。「自分の目で、彼女が返ってくるのを見届けないと・・・」。泣きながら声を絞り出した。
鈴木さんによると、この女性を含む大学時代からの仲間三人で、二十七日に大滝口を出発。本当は昨年に計画していたが、天候悪化で見送り、ようやく実現した御嶽登山だった。空が青い。たわいもないおしゃべりをしながら、山頂を目指した。
九合目付近に差しかかったとき、突然、目の前で噴煙が上がった。「伏せよう」。黒ずんだ煙に覆われ、その場にうずくまった。
「痛い、痛い」。暗闇の中、うめくような声。鈴木さんが目をやると、女性の左膝から血が流れ続けていた。降ってきた噴石につぶされ、足がちぎれかかっていた。
一一九番し、アドバイスを受けながら、止血のために足をタオルで縛ったり、爪先の位置を高くしようと体をずらしたりした。すぐ近くの山小屋に運ぼうとしたが、とても動かせる状態ではない。
「お母さんと話がしたい」。女性が差し出した携帯電話で、鈴木さんが女性の母に状況を説明した後、女性に代わった。
噴火から三時間半がたったころ。少しずつ弱っていた心臓の鼓動が聞こえなくなった。鈴木さんらは、生きるため、女性をその場において下山した。「ごめんね」。それしか言えなかった。
女性の母は電話の後、すぐに東京から駆けつけ、二十八日はやはり木曽町役場の家族控室で、テレビの安否情報を食い入るように見つめていた。同日に収容された遺体は四人しかいないという。「せめて、その中に娘がいてくれたら」とだけ、つぶやいた。(29日付中日新聞33面記事抜粋)
昨日の御嶽山の噴火・・この日は、充実感に溢れ、茶臼山に行ってきた日。
今日(29日付)の中日新聞の33面の記事を読んで、胸が熱くなりました。そこには生死をかけた壮絶なたたかいと苦しみがあったことに気付かされました。
心のどこかで他人事だと思っていた自分が情けない。
時間のある方は、33面の他記事も是非お読みください。